前例を作った馬はたくさんいますが、シーキングザパールもその中の1頭です。
父は大種牡馬ミスタープロスペクターの直仔のシーキングザゴールド、母はページプルーフ。
所謂持ち込み馬で、当時は今とルールが違ったこともあり、出られるレースと出られないレースが明確に分かれていました。
デビュー前から注目されていて、3歳春にはNHKマイルCに勝利し、翌年にはフランスに遠征。
目指すレースはモーリス・ド・ゲスト賞。
日本調教馬が海外のGIレースを勝ったことはこれまでありませんでしたので、かなり期待されていました。
結果的に優勝し、見事前例を作り上げました。
その後はムーラン・ド・ロンシャン賞に挑戦しましたが、残念ながら5着に敗れ、その後は日本で走りましたが最高順位が2着と今一歩の成績。
安田記念を最後に引退し繁殖生活に入り、シーキングザダイヤが息の長い活躍を見せてくれました。
今は日本馬が海外の大レースを勝利するのは当たり前の光景となりましたが、シーキングザパール以前は、日本馬の海外GI勝利ゼロ。
この馬の登場によって日本の競馬界は変わりましたし、勢いづきました。
若くして亡くなりましたが、彼女の遺伝子は今後も競馬界で生き続けます。